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フィリピン美術の歴史
古沢ゆりあ
初出=『フィリピンアートみちくさ案内』2013年
(2025年に修正・編集)
フィリピンの美術と一口に言っても、時代や地域、作者によって実に多様な表現がある。ここではその全てを紹介することはできないが、代表的かつ重要な作品によってフィリピンの美術の歴史をたどってみたい。
1 古い時代の造形表現
最も古い絵画表現とされるのは、マニラの東に位置するリサール州にあるアンゴノ・ペトログリフ(岩壁画)だ。1965年に、地元の画家カルロス・フランシスコ(1912~1969)よって発見され、紀元前3000年~紀元前1000年の新石器時代の間に、数回にわたって描かれたものとされている。岩壁に線で127の人物像が刻まれ、人々が輪になっている場面など、豊穣のための儀式をしているところではないかと考えられている。
続いて、古代の人々の造形感覚と世界観を伝えるものに、フィリピン国立博物館に所蔵される《マヌングルの壺》がある。これはパラワン島で約2700年前に使われた埋葬用の土器の壺で、島内のマヌングル洞窟で発見された。壺の蓋の上には、小舟にのったふたりの人物像があり、死者の魂が死後の世界へと旅していく姿だといわれている。人物像の細かい表情やしぐさだけでなく、壺の赤い装飾的な文様など、優れた表現力をそなえている。
2 植民地時代の宗教美術
1565年以降のスペインによる植民地化は、美術表現を含むフィリピンの文化全体に大きな変化をもたらした。在来の宗教の像などが破壊されると同時に、西洋美術(キリスト教美術)が導入され、キリスト教絵画や聖像、石造りの教会堂などが制作された。イントラムロスにあるサン・アグスティン教会は、この時代の建築を今に伝えている。
植民地時代の宗教美術の優れた作例のひとつは、ケソン・シティのサント・ドミンゴ教会にある《ラ・ナバルの聖母》像だろう。等身大のこの聖母像は、象牙製の頭部にまつげや髪の毛も植えられた写実的な表現がされているほか、豪華な刺繍で飾られた衣装と金の冠を身につけている。象牙の部分は、中国系の職人の手によるものといわれ、どこか東洋的な雰囲気ももっていると同時に、三角形のシルエットの衣装などはスペインの様式によるもので、東西の融合がみられる点で特徴的だ。
3 19世紀の巨匠たち
一方、18世紀末から19世紀にかけて、新興の中流階級の求めにより、肖像画や風俗画など宗教以外の主題も描かれるようになった。この時代の画家では、象牙に描いた細密画などで人気を博したダミアン・ドミンゴ(1795頃~1833)が知られている。1823年には、最初の美術アカデミーが設立され、素描など西洋式の美術教育が行われるようになった。
フアン・ルナ(1857~99)とフェリックス・レスレクシオン・イダルゴ(1855~1913)のふたりは、アカデミズムの画家として西洋で学び、フィリピン人で最初に西洋の画壇で認められ、フィリピン美術史に大きな足跡を残した画家だ。1884年のマドリードの美術展において、ルナの《スポリアリウム》が金メダルを、イダルゴの作品が銀メダルを獲得した。ふたつの作品は、古典主義・ロマン主義的な描法で西洋の古代に題材をとったものであり、植民地フィリピンの画家が宗主国スペインの画壇でスペインの画家たち並んで認められたという点で意義深いものだった。フィリピン国立美術館に所蔵されている迫力ある大画面の《スポリアリウム》(1884年)をみよう(リンク先Featured Collections最初の作品)。古代ローマの闘技場で闘って殺された剣闘士が死体置き場(スポリアリウム)へと引いて行かれる場面が描かれたこの作品は、植民地支配下で苦しむフィリピンの姿が投影されていると解釈されている。
4 モダニズムの時代へ
米西戦争(1898年)の結果、アメリカの支配下となった20世紀前半には、フィリピンの風景や風俗を美しく描いた絵画がさかんになった。この時代の代表的な画家フェルナンド・アモルソロ(1892~1972)は、理想化された牧歌的な田園風景や、美しいフィリピン女性を、暖かな光にあふれる鮮やかな色彩で描き出し、上流階級やフィリピン在住のアメリカ人の間で人気を博した。
そのような当時の美術界にモダニズムを紹介したのが、「フィリピン近代美術の父」といわれるヴィクトリオ・エダデス(1895~1985)だった。アメリカで美術を学んだ彼が1928年に帰国しマニラで個展を開くと、それが議論を呼び、保守派とモダニストとの対立が起こった。当時の他の多くの画家が追求した理想的美と調和に対して、モダニストは対象の変形や大胆な筆遣いや、感じたものを美化せずに描こうとする態度を主張していたからだ。エダデスが描いた《建設者たち》(1928年、フィリピン文化センター所蔵)には、当時発展しつつあった都市での労働者たちが力強い筆致で描かれている。
5 多彩な表現 戦後~現代まで
第二次大戦後の美術界は、1950~70年代にかけてモダニズムが興隆し、色鮮やかな抽象画で知られるヘルナンド・R・オカンポ(1911~78)や、どっしりとした量感の彫刻のナポレオン・アブエヴァ(1930~2018)ら、多くの芸術家が活躍する。また、芸術家たちが表現をとおして、「真にフィリピン的な美術とは何か」「ナショナル・アイデンティティ」を探求した時代でもあった。
70年代から80年代には、マルコス政権下での抑圧のなかで、美術作品を通して社会的な発言をおこなう社会派リアリズムがおこった。社会派リアリストには、フィリピンの人々の苦難と希望を宗教的なモティーフと重ね合わせて描いたエドガー(エガイ)・フェルナンデス(1955~2024)らがいる。
その後、国際的な美術動向も反映しながら、美術表現はますます多様になっていき、コンセプチュアル・アート、インスタレーションや映像など、さまざまな表現を試みるアーティストたちが現在まで活躍している。
(イメージ画像)
キリスト教の小像(サント)を売る
カルロス・フランシスコ
フィリピン美術の歴史
古沢ゆりあ
初出=『フィリピンアートみちくさ案内』2013年
(2025年に修正・編集)
フィリピンの美術と一口に言っても、時代や地域、作者によって実に多様な表現がある。ここではその全てを紹介することはできないが、代表的かつ重要な作品によってフィリピンの美術の歴史をたどってみたい。
1 古い時代の造形表現
最も古い絵画表現とされるのは、マニラの東に位置するリサール州にあるアンゴノ・ペトログリフ(岩壁画)だ。1965年に、地元の画家カルロス・フランシスコ(1912~1969)よって発見され、紀元前3000年~紀元前1000年の新石器時代の間に、数回にわたって描かれたものとされている。岩壁に線で127の人物像が刻まれ、人々が輪になっている場面など、豊穣のための儀式をしているところではないかと考えられている。
続いて、古代の人々の造形感覚と世界観を伝えるものに、フィリピン国立博物館に所蔵される《マヌングルの壺》がある。これはパラワン島で約2700年前に使われた埋葬用の土器の壺で、島内のマヌングル洞窟で発見された。壺の蓋の上には、小舟にのったふたりの人物像があり、死者の魂が死後の世界へと旅していく姿だといわれている。人物像の細かい表情やしぐさだけでなく、壺の赤い装飾的な文様など、優れた表現力をそなえている。
2 植民地時代の宗教美術
1565年以降のスペインによる植民地化は、美術表現を含むフィリピンの文化全体に大きな変化をもたらした。在来の宗教の像などが破壊されると同時に、西洋美術(キリスト教美術)が導入され、キリスト教絵画や聖像、石造りの教会堂などが制作された。イントラムロスにあるサン・アグスティン教会は、この時代の建築を今に伝えている。
植民地時代の宗教美術の優れた作例のひとつは、ケソン・シティのサント・ドミンゴ教会にある《ラ・ナバルの聖母》像だろう。等身大のこの聖母像は、象牙製の頭部にまつげや髪の毛も植えられた写実的な表現がされているほか、豪華な刺繍で飾られた衣装と金の冠を身につけている。象牙の部分は、中国系の職人の手によるものといわれ、どこか東洋的な雰囲気ももっていると同時に、三角形のシルエットの衣装などはスペインの様式によるもので、東西の融合がみられる点で特徴的だ。
3 19世紀の巨匠たち
一方、18世紀末から19世紀にかけて、新興の中流階級の求めにより、肖像画や風俗画など宗教以外の主題も描かれるようになった。この時代の画家では、象牙に描いた細密画などで人気を博したダミアン・ドミンゴ(1795頃~1833)が知られている。1823年には、最初の美術アカデミーが設立され、素描など西洋式の美術教育が行われるようになった。
フアン・ルナ(1857~99)とフェリックス・レスレクシオン・イダルゴ(1855~1913)のふたりは、アカデミズムの画家として西洋で学び、フィリピン人で最初に西洋の画壇で認められ、フィリピン美術史に大きな足跡を残した画家だ。1884年のマドリードの美術展において、ルナの《スポリアリウム》が金メダルを、イダルゴの作品が銀メダルを獲得した。ふたつの作品は、古典主義・ロマン主義的な描法で西洋の古代に題材をとったものであり、植民地フィリピンの画家が宗主国スペインの画壇でスペインの画家たち並んで認められたという点で意義深いものだった。フィリピン国立美術館に所蔵されている迫力ある大画面の《スポリアリウム》(1884年)をみよう(リンク先Featured Collections最初の作品)。古代ローマの闘技場で闘って殺された剣闘士が死体置き場(スポリアリウム)へと引いて行かれる場面が描かれたこの作品は、植民地支配下で苦しむフィリピンの姿が投影されていると解釈されている。
4 モダニズムの時代へ
米西戦争(1898年)の結果、アメリカの支配下となった20世紀前半には、フィリピンの風景や風俗を美しく描いた絵画がさかんになった。この時代の代表的な画家フェルナンド・アモルソロ(1892~1972)は、理想化された牧歌的な田園風景や、美しいフィリピン女性を、暖かな光にあふれる鮮やかな色彩で描き出し、上流階級やフィリピン在住のアメリカ人の間で人気を博した。
そのような当時の美術界にモダニズムを紹介したのが、「フィリピン近代美術の父」といわれるヴィクトリオ・エダデス(1895~1985)だった。アメリカで美術を学んだ彼が1928年に帰国しマニラで個展を開くと、それが議論を呼び、保守派とモダニストとの対立が起こった。当時の他の多くの画家が追求した理想的美と調和に対して、モダニストは対象の変形や大胆な筆遣いや、感じたものを美化せずに描こうとする態度を主張していたからだ。エダデスが描いた《建設者たち》(1928年、フィリピン文化センター所蔵)には、当時発展しつつあった都市での労働者たちが力強い筆致で描かれている。
5 多彩な表現 戦後~現代まで
第二次大戦後の美術界は、1950~70年代にかけてモダニズムが興隆し、色鮮やかな抽象画で知られるヘルナンド・R・オカンポ(1911~78)や、どっしりとした量感の彫刻のナポレオン・アブエヴァ(1930~2018)ら、多くの芸術家が活躍する。また、芸術家たちが表現をとおして、「真にフィリピン的な美術とは何か」「ナショナル・アイデンティティ」を探求した時代でもあった。
70年代から80年代には、マルコス政権下での抑圧のなかで、美術作品を通して社会的な発言をおこなう社会派リアリズムがおこった。社会派リアリストには、フィリピンの人々の苦難と希望を宗教的なモティーフと重ね合わせて描いたエドガー(エガイ)・フェルナンデス(1955~2024)らがいる。
その後、国際的な美術動向も反映しながら、美術表現はますます多様になっていき、コンセプチュアル・アート、インスタレーションや映像など、さまざまな表現を試みるアーティストたちが現在まで活躍している。
(イメージ画像)
キリスト教の小像(サント)を売る