ja en

用語集

〈嚶嚶(インイン)芸術社〉と〈華人美術研究会〉 

マラヤでの中国人美術家の運動

1930年代は、東南アジアの各地で植民地から独立し、自分たちの国をつくろうとするナショナリズムの気運が高まった時代である。美術のうえでも民族のアイデンティティについて問いかけがなされ、近代美術運動が盛りあがった。しかし英領マラヤ(現在のマレーシアとシンガポール)の近代美術運動の場合は、ほかの国と事情が異なる。つまりこの運動を進めたのは、現地のマレー人ではなく移民としてやってきた中国人であったこと、ナショナリズムと連動した他の国の運動とは異なり、中国人コミュニティヘの帰属意識を背景にしていたことである。そしてこの運動の中核となったのがペナンの〈嚶嚶芸術社〉(1935年設立)とシンガポールの〈華人美術研究会〉(1936年設立)で、それぞれの中心にヨン・ムンセン(楊曼生、1896~1962)とチャン・ジューチー(張汝器、1904~1942)がいた。さらに1938年には二つの会の協力でシンガボールに南洋美術専科学校ができ、校長のリン・ハクタイ(林学大、1893~1963)を中心に中国人コミュニティの子弟の美術教育がスタートしたのである。だが戦前に高まった美術運動も日本軍のマレー半島への侵攻により停止を余儀なくされ、張汝器ら数名の若い才能はチャンギーの日本軍捕虜収容所に散ってしまう。戦後は、リュウ・カン(劉抗、1911~2004)のもとで〈華人美術研究会〉が再開され、新たに移住してきたジョージェット・チェン(1907~1992)やチェン・ウェンシ(陳文希、1906~1991)、チョン・スーピン(鐘泗賓、1917~1983)が南洋美術専科学校で教鞭をとり美術界をリードした。この時代、美術表現ではポスト印象派やフォーヴィスム、とくにゴッホやゴーギャンが好まれた。画家たちはゴッホやゴーギャンの鮮やかで力強い画風に倣い南洋の気候や風土を写し、またゴーギャンがオリエンタリズムからタヒチの女たちを描いたように、彼らはマレー半島やインドネシアの現地女性を描いた。楊曼生の《堂々とした女性》はその一例である。しかし同時に彼らは中国人としてのアイデンティティを意識した。劉抗は「中国の墨線が命と思った」と語る。《スリッパ》の色と形の饗宴のなかで躁動する線はこの「中国の墨線」に他ならない。ジョージェット・チェンの《北京風景》もやはり線が主体の絵圃である。

ヨン・ムンセン(楊曼生) 《堂々とした女性》 1931 油彩・画布、板

リュウ・カン(劉抗) 《古い通り》 1950 油彩・画布

一覧へ戻る