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台北で郷原古統の助言を得て1925年に東京女子美術学校日本画師範科に入学、結城素明に師事する。在学中の1927年に林玉山、郭雪湖とともに第1回台湾美術展覧会(台展)に入選し「台展三少年」として有名になる。1929年の卒業と同時に鏑木清方の門下生になり、伊東深水らの指導を受ける。1934年に《合奏》が第15回帝展に、1936年春の改組帝展に《化粧》が、同年秋の文展監査展に原住民の女性たちを描いた《サンティモン社の女》が入選。以降、台湾の近代画壇を代表する膠彩画[1]画家として活躍。平明な構図、清涼感のある色彩、繊細な描写で、初期には台湾人のアイデンティティを追求する題材を、中期には家庭や家族を、後期には仏教説話をテーマに制作した。
[1] 「膠彩画」は日本画と同じく顔料と膠による絵画で、「東洋画」とも呼ばれたが、近年は政治的にニュートラルな呼称として「膠彩画」が使われる。
参考文献
・『台湾の女性日本画家 生誕100年記念 陳進展』、渋谷区立松濤美術館・兵庫県立美術館・福岡アジア美術館・読売新聞社・美術館連絡協議会、2006年
・ラワンチャイクン寿子「台湾の女性『日本画家』陳進筆《サンティモン社の女》をめぐって」、『美術史』165号(2008年10月)、162〜176頁
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https://www.shahziasikander.com/
《サンティモン社の女》
1936年
福岡アジア美術館所蔵
台北で郷原古統の助言を得て1925年に東京女子美術学校日本画師範科に入学、結城素明に師事する。在学中の1927年に林玉山、郭雪湖とともに第1回台湾美術展覧会(台展)に入選し「台展三少年」として有名になる。1929年の卒業と同時に鏑木清方の門下生になり、伊東深水らの指導を受ける。1934年に《合奏》が第15回帝展に、1936年春の改組帝展に《化粧》が、同年秋の文展監査展に原住民の女性たちを描いた《サンティモン社の女》が入選。以降、台湾の近代画壇を代表する膠彩画[1]画家として活躍。平明な構図、清涼感のある色彩、繊細な描写で、初期には台湾人のアイデンティティを追求する題材を、中期には家庭や家族を、後期には仏教説話をテーマに制作した。
[1] 「膠彩画」は日本画と同じく顔料と膠による絵画で、「東洋画」とも呼ばれたが、近年は政治的にニュートラルな呼称として「膠彩画」が使われる。
参考文献
・『台湾の女性日本画家 生誕100年記念 陳進展』、渋谷区立松濤美術館・兵庫県立美術館・福岡アジア美術館・読売新聞社・美術館連絡協議会、2006年
・ラワンチャイクン寿子「台湾の女性『日本画家』陳進筆《サンティモン社の女》をめぐって」、『美術史』165号(2008年10月)、162〜176頁
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