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重要作家

リュウ・カン
鮮烈な色彩で描く「南洋」文化

名前(漢字)
劉抗
名前(英語)
Liu Kang
カテゴリ
絵画
地域
シンガポール
生年
1911
生地
中国福建省永春
没年
2004
没地
シンガポール

[Portrait photograph by Koh Nguang How]

中国で生まれたリュウ・カンは、幼少期にマレー半島ムアラに移住。1926年に帰国し上海の新華芸術大学へ入学、1928年に同校を卒業すると同時に渡仏、パリの美術学校に学ぶ。1933年に帰国した後は、リュウ・ハイス(劉海粟)が校長を勤める上海美術専科学校で教鞭をとる。国内の混乱を避け1937年に再びマレー半島に移住し、1942年にシンガポールに居を定め同地で没する。

日本軍政期には日本映画配給会社で看板やポスターを制作したが、1946年に戦争のため解散状態にあった華人美術研究会(中華美術研究会)が再興されると会長に就任し、戦前からの近代美術のパイオニアの一人として戦後の美術界で指導的役割を果たした。1970年にはシンガポール政府より公共服務星章を受ける。マティス、ゴッホ、ゴーギャンなどの画風をシンガポールの気候や風土、風俗に即して飜案する一方で、伝統的な中国画の線に中国人画家としての真髄を見い出し、躍動する線を生かした、独自の明るい生命感にみちた絵画宇宙を築く。またチェン・ウェンシ(陳文希)、チェン・チョンスィ(陳宗瑞)、チョン・スーピン(鐘泗賓)らと旅したバリに取材した作品にも新境地を切り開いた。

参考 独立期のシンガポール美術展|検索結果一覧|年表|調べる|アジア美術資料室

図版

《スリッパ》

1930年

福岡アジア美術館所蔵

《古い通り》

1950年

福岡アジア美術館所蔵

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