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用語集

プルサギ

インドネシア美術の自立を求めて

1938年オランダ領東インド(現在のインドネシア)のジャワ島で、盛りあがるナショナリズムを背景に〈インドネシア画家連盟〉(通称〈プルサギ〉)が結成された。これは、インドネシアにおける最初の近代美術運動といえるものであった。代表はアグス・ジャヤ(1913~1990)であったが、この運動の理論的支柱であり、カリスマ的な人気があったのはむしろスジョヨノ(1917~1986)であった。当時の著作のなかで、彼はそれまでの美しく理想化された風景画を「うるわしの東インド」と呼び、観光客の異国趣味に迎合しただけの意味のないものとして激しく批判し、植民地東インドの現実に目を向け、「現実的精神」を表現するようインドネシアの画家たちに訴えた。そこには近代的な個の確立の前に、民族の自立への願いが込められていた。〈プルサギ〉の活動は短期間で突然の中断を余儀なくされる。それはやがて日本軍政期に日本軍が組織した国民総力結集運動(プートラ)啓民文化指導所の中に解消されていくことになる。

アグス・ジャヤ 《水田の帰り》 1944 油彩・画布

ヘンドラ・グナワン 《しらみとりとクロカン》 1950年頃 油彩・画布

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