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用語集

〈ベンガル派〉とジャミニ・ロイ

インド独自の民俗的モダン

1905年、カルカッタにある国立美術工芸学校の副校長にオボニンドロナト・タクル(アバニンドラナート・タゴール、1894~1975)が就任したことによって、インドの近代美術は新たな局面を迎えた。というのも、オボニンドロナトの下からは、それまでの西洋アカデミズムに対抗して、インド固有の美術表現を追求した学生たちが数多く育ったからである。彼らは〈ベンガル派〉と呼ばれ、伝統的な細密画だけでなく、当時のヨーロッパの前衛美術であるシュルレアリスムや構成主義を摂取した。そしてさらには、横山大観や菱田春草を通じてタゴール家周辺に広まった日本画の技法をも取り込み、さまざまな実験を行なったのである。このとき、ノーペル賞を受賞したことで名高い詩人ロビンドロナト・タクル(ラビンドラナート・タゴール、1861~1941)も、甥のオボニドロナトやベンガル派の影界を受け、1920年頃から絵画を制作しはじめたが.その独創的な絵両表現は〈ベンガル派〉の範疇に留まることなく独自の道を歩みつづけた。また現在のパキスタンで絶大な人気を誇るアブドゥル・ラハマーン・チュグターイー(1897~1975)も、〈ベンガル派〉に感化された画家のひとりだが.彼はアール・ヌーヴォーの繊細な様式美を摂取し、ウルドゥー語の詩の世界を絵画化した。しかし、より造形的な実験として、インド固有の視覚文化とモダニズムが結びついたのは、ジャミニ・ロイ(1887~1972)においてであろう。彼もまた1900年代初頭にカルカックの美術学校で学ぴ、初期には印象派風ののどかな風景画を描いていたが、20年代からは独自の様式を模索し、ベンガル地方の代表的な宗教画であるカーリガート絵画を下敷きに、太い輪郭線によって単純化された肖像画や動物画を描きはじめた。ジャミニ・ロイのこうした姿勢は、ミティラー画やワルリー画といったフォーク・アートを、新たな創作活動の源泉にした芸術家たちに継承されてゆくのである。

アブドゥル・ラハマーン・チュグターイー 《消えた炎》 1920年代 水彩・紙

ジャミニ・ロイ 《3人の聖母》 1943 グワッシュ・紙、合板

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