スリランカの個性的な近代様式
スリランカ(当時セイロン)では英国統治下の1891年に〈セイロン美術協会〉が設立され、イギリス中産階級の好むアカデミズムが、チューダー・ラージャパクサ(1868~1959)のようなスリランカ人画家にも実践されていた.西洋アカデミズムの支配に抗して、近代的な表現を求めた画家たちの〈43年グループ〉は、その名のとおり1943年に生まれた。そのパトロンは、構成主義やソラリゼーションを試みたり同性愛的なまなざしで熱帯の男性裸体を撮った写真家ライオネル・ウェント(1900~1944)である。彼の死後はハリー・ピーリス(1904~1988)が中心となってグループをまとめ、1952年からロンドンやパリでも展覧会を開くことで次第に国内でも評価を得ていく。また会員作品展だけではなく伝統美術の写真展や舞踊の公演など啓蒙的な催しも行ない、近代美術と自国の伝統文化との融合をめざした。
アジア近代の数ある美術グループのなかでもこのメンバーの画家たちの作品は、キュビスムやフォーヴィスムなどヨーロッバの影響を受けながらも明確な個性を主張していたことで注目される。壁画の様式とピカソ的構成を流麗な線描と華麗な色彩で結びつけたジョージ・キート(1901~1993)、地方色豊かな題材を緊密な構成で描いたリチャード・ガブリエル(1924~2016)、海辺の村人たちを幻想的に描いたイワン・ピーリス(1921~1988)の作品はとりわけ魅力的である。
ライオネル・ウェント 《題不詳 (少年と椰子の葉)》 不詳 (1934―38か) ゼラチン・シルバー・プリント
イワン・ピーリス 《デヒワラ)》 1978 油彩・画布