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重要作家

シャジア・シカンダー
細密画を現代の技術で拡張し ムスリム女性の視点で文化の衝突を問いかける

名前(英語)
Shahzia Sikander
カテゴリ
絵画、版画、彫刻、インスタレーション、映像
地域
パキスタン、米国
生年
1969
生地
ラホール(パキスタン)
在住地
ニューヨーク

伝統細密画の革新から現代美術へ

シカンダーは、インド亜大陸(現在のインドとパキスタン他)で数百年もの伝統をもつ「細密画(miniature)」に革命を起こした作家である。細密画が観光客向けのおみやげ程度にしか思われていなかった1980年代、シカンダーはラホールの国立美術学校で伝統的な細密画の技法を身に着けながら、自伝的な物語や社会批評を含む現代的な題材と造形的な実験に挑戦し、細密画を国際的に通用する「現代美術」として再生させたのである。その結果、福岡アジア美術館での「パキスタンの現代細密画」展(2004~5年)で紹介されたように、「新細密画」は今もパキスタン現代美術には欠かすことのできないひとつのジャンルとして定着している。

ラホール時代の初期作品《絵巻》(1989~90年)[1]では、細密画としては異例の大きさである178cmもの画面で、作者とおぼしき女性が異時同図法のように繰り返し登場し、現代的な家の内外の様々な空間が接続されている。そこには伝統を大きく踏み越えた非西洋的な空間表現の実験だけでなく、現代社会での女性の存在を可視化するという、後年の作品に通じるテーマが現れていた。

1993年に渡米してからシカンダーの実験はさらに大胆になる。異質な題材の組み合わせ・断片化・絵画の枠の拡大に加えて、人種差別や現代の帝国主義への批判や、フェミニズムによる政治的テーマも展開し、伝統や固定観念に対する挑戦を続ける。特にアメリカ社会で「他者」とされたイスラーム圏出身者への偏見や暴力、「イスラーム社会で抑圧された女性」というステレオタイプの解体が大きなテーマとなる。イスラーム世界をめぐる国際問題を扱った《いくつもの顔またはイスラームの復興》[2](1997~99年)のように、雑誌での発表を前提とした政治的テーマの作品もあるが、彼女の本領は、美的な調和を自己否定し、いかなるメッセージにも還元できない不穏さを生み出す手法にある。空間的な統一性を攪乱する銃痕のようなドット、周縁的な存在であった装飾モチーフや些細な形態の強調、試し描きのような未完成の形象、そしてしばしば怪物のような異様な姿に変形された女性像がその例である。

シカンダーの手描きの絵画でも、コンピュータ上で画像を加工する「カット&ペースト」や「レイヤー」を思わせる実験が内在していたことから、彼女の作品がデジタル技術によるアニメーションに展開するのは必然であったといえよう。別の手法による展開として、極小のサイズのなかで枠を超え複雑な奥行きをもつ細密画の特性を増幅させて、半透明の紙による空間的なインスタレーションも試みている。これらの作品により、1997年のホイットニー・ビエンナーレをはじめ欧米の美術館の企画展、国際展への招待、パブリック・アートの委嘱など、国際的に非常に高い評価を受けることになった。

 アニメーション作品を解読する① 《SpiNN》

自作の細密画のデジタル化による最初期のアニメーション作品《SpiNN》(福岡アジア美術館所蔵)では、いかなる物語性も欠いているにもかかわらず、伝統への回帰も安易な読解も許さない、現代世界の複雑で深い闇を感じさせる。

《SpiNN》の最初にムガール朝の王や権力者による裁判所あるいは会議場に使われるダーバー・ホールが現れるが、本来中央奥に座を占めるはずの王は不在で、多数の裸の女性に占領されている。女性たちは牛の乳しぼりをする「ゴーピー」であり、ヒンドゥー神クリシュナの熱烈な崇拝者である。やがてゴーピーの髪の部分だけが分離し、他の部分は消えて多数の髪の毛が鳥や虫の群れのように一体となって回転し、空間を侵食する。髪の毛は黒い塊となり、黒いシルエットのような遊翼の天使が現れるが、替わってスカーフを風になびかせえて女性たちが飛翔し、ダーバー・ホールの背後には広漠とした野原が見えてくる。西洋風の天使たちも現れるがすぐに消える。サリーの女性と、ヨーロッパ風のヴィーナス[3]が楕円形のフレームに現れ、東西文化の融合(女性たちの連帯?)が天使たちに祝福される。風景だけが残るが、最後に悪魔たちが現れ、ハンマーをふりおろす。

このような図像の展開から、男性(王や藩主、クリシュナ)の権力の場を、女性たちの集団や連帯が占拠し、破壊し、解放された美しい自然のなかで自分たちの共同体を生み出すというフェミニズム的読解が可能になる。全体としては静穏さが支配するが、建築要素の構築性を回転と奥行きへの侵入によっておびやかす黒の塊はカラスかコウモリの群れのように不吉であり、悪魔たちは女性の勝利がつかの間のものにすぎないことを暗示する。

《SpiNN》[4]という奇妙な題名には複雑な言葉遊びがある。「spin」という語は通常は「回転」を意味するので作中での女性の髪の動きを示すともいえるが、政治家や企業が記者会見などで情報を操作する意味(spin propaganda)もあり、さらにふたつのNはアメリカのテレビ局CNNを暗示する。図像からは政治的意図は読み取りにくいが、2001年9月11日のニューヨークのテロ事件以後のアメリカの世論でイスラーム教徒への攻撃が蔓延した状況を反映しているのかもしれない。

アニメーション作品を解読する② 《視差》

2022年にシカンダーが「第32回福岡アジア文化賞 芸術・文化賞」受賞したときに展示された《視差》は、2011~12年、アラブ首長国連邦(UAE)に長期滞在し、ホルムズ海峡をめぐる地域の複雑な文化混合や歴史を調査して制作した作品で、2013年のUAEでのシャールジャ・ビエンナーレに出品された。

タイトルの「視差」は、異なる位置から見た対象が異なって見える現象を意味する。ゴーピーの髪が乱れ飛ぶ場面で始まるが、基調となるのは、場面の転換のときに現れる巨大画面をおおう赤や青の絵の具の流れや、抽象化された形態であり、伝統的な細密画から発する作品とは異なる展開を示している。極端に横長の画面は、上下、左右にフレームが動き、形態も背景も回転することで見る人をゆさぶる。特にこの作品で目立つのは、極端な拡大や縮小によるスケールの変化であり、それもまた別の「視差」の探求なのである。

産油国での経験を示すように、黒い液体の噴出は石油のように見え、白いクリスマスツリーのような石油の掘削装置もUAEの調査から見出されたモチーフである。しかし多数の「クリスマスツリー」は大きな爆破音や銃声とともに砕け散ってしまい、この地域の戦乱の歴史を暗示する。回転する小さな飛翔物が拡大されると、切り離された腕とわかり、ヒンドゥー神の多数の腕を思わせる。画面いっぱいに現れる下半身がつながった人体は、片方の頭部は骸骨であり、生と死の連続を示している。黒い形態(ゴーピーの髪)が6つの円(あるいは球体)の中をとびまわる最後の場面では、UAEの3人の詩人に依頼した詩の朗読が使われている。

タイトルの「視差」が示すように、同時に全体を見ることが困難なスクリーンの広がりのために見る人は立ち位置を変えていかなければならない。それは同時に、長い歴史のなかで多様な民族・言語・文化が混在し重層的な歴史を生み出してきた地域では、固定した・特権的な視点が不可能であり、そこで生きる人々も常に視点を移動し、他者の視点との差異を測定しなければならないことを暗示しているようだ。「視差」とは、グローバル化した現代世界を生きるすべての人々が直面する問題なのである。

パブリック・アートの挑戦

シカンダーは近年にはパブリック・アートも手掛け、2023年の「ハヴァー…呼吸、空気、生命」展では、ニューヨークのマディソン・スクエア公園に《目撃者》を、最高裁判所に《NOW》を設置した。この二体の彫刻は、どちらも強さと知恵のシンボルである山羊のような螺旋状の角をもつ、シカンダーの2001年の細密画作品《快楽の柱》に登場する女性像からとられでいる。《目撃者》は地上からスカートで浮き上がっていてもなお自らの根とともに移動する自由を暗示する。《NOW》は、裁判所の屋上にあるヨーロッパ、インド、中国など世界各地の立法者(すべて男性)と並べて設置され、女性も同等に法と正義をつかさどる資格があることを主張する。しかし《目撃者》がヒューストン大学に巡回したとき、人工妊娠中絶に反対する宗教保守派市民から「悪魔的satanic」と激しく抗議され、何者かによって首を切断されてしまった[5]。しかしシカンダーは、「私たちの社会に蔓延する憎悪と分断の証拠として」あえて修理も撤去もせずに無残な姿の彫刻の展示を続けた[6]

現在(2025年6月)のアメリカでは、宗教保守派の支持を受けた政権により、移民や性的マイノリティーを排除し、それまでの市民運動が築き上げてきたDEI(多様性・公平性・包摂性)を尊重する政策が次々と停止されつつある。そのなかで、シカンダーの果敢な問いかけはますます重要になってきているといえるだろう。

(黒田雷児)

 

[1] 第4回福岡アジア美術トリエンナーレ2009(福岡アジア美術館)出品。

[2] 同上、ただしタイトルは《イスラームの多くの顔(The Many Faces of Islam)》

[3] シカンダーの絵画作品《狡猾な献物》(2001年)からとられたモチーフ。

[4] 《SpiNN》と題された作品はこのアニメーションのほか3点の絵画があり、そこでは本作品に現れないヨーロッパの女神などの図像が使われている。

[5] 角をもつ女性が西洋キリスト教文化圏では悪魔的に見えるだけでなく、この女性像の襟飾りが、人工妊娠中絶の権利を認めた故最高裁判事ルース・ベイダー・ギンズバーグが着用していたものであることから、中絶を認めない宗教保守派の非難を受けることになった。Karen K. Ho「米宗教団体が女性像の頭部を切断か。作家はハリケーン『ベリル』に紛れた『卑怯な暴力行為』と非難」、ARTnews Japan, 2024年7月16日

[6] 同上および下記を参照 Shahzia Sikander says she will not fix statue that was beheaded in Houston, The Art Newspaper, August1, 2024.

Show the violated work’: Artist requests beheaded sculpture remains on view,” CNN website, July 12, 2024

 

図版

《SpiNN》

2003年

アニメーション(6分30秒)

福岡アジア美術館所蔵

《視差》

2013年

アニメーション(15分25秒)

作家蔵

「第32回福岡アジア文化賞 芸術・文化賞」受賞記念の展示

Artist Café Fukuoka(旧舞鶴中学校内) 2022年

主催:福岡市/(公財)福岡よかトピア国際交流財団

協力:福岡アジア美術館

撮影:長野聡史 ©Nagano Satoshi

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