地域概要

インド India

インドの近現代美術

後小路雅弘

(元福岡アジア美術館学芸課長・

現北九州市立美術館館長)

 

初出=『美術フォーラム21』21号(2010年)

 

18世紀以降、英国東インド会社が徐々にインドにおける政治権力を確立していく過程で、ムガル宮廷に代わり、東インド会社が新たに芸術のパトロンとなる。宮廷で細密画を描いていた絵師たちは、各地の東インド会社の社員の注文に応え、西洋画法を取り入れながらエキゾティックな画題を描いた。そのような絵画は、カンパニー絵画と総称され、西洋美術の影響を受けたインド絵画の先駆けとなった。

 

また、ラージャー・ラヴィ・ヴァルマー(1848~1906年)は、西洋絵画を研究し、それを基にヒンドゥー神話を描いた。ヴィクトリア朝のロマンティックな様式を取り入れた甘美な人物表現は大衆的な人気を博した。1982年自ら印刷所をボンベイ(現ムンバイ)に創設し、オレオグラフという高級リトグラフ技法によって、自作を大量に制作、彼が創り出したインド女性のイメージはインド中に広まり、そのヒンドゥーの神々は、今日インドの街中で売られる大衆的な神像などのポスターやカレンダーの原型となって広く流布した。

 

英領インドの首都であったカルカッタ(現コルカタ)では、ノーベル文学賞を受賞し“詩聖”と呼ばれたロビンドロナト・タクル(ベンガル語読みによる、英語読みはラビンドラナート・タゴール 1861~1941年)が、岡倉天心や横山大観、菱田春草らと親交を結んで、1920年代から本格的に絵画制作に取り組んだ。ロビンドロナトの甥の息子であるゴゴネンドロナト(1867~1938年)とオボニンドロナト(1871~1951年)のタクル兄弟やノンドラル・ボシュ(英語読みナンダラル・ボース 1882~1966年)とともにベンガル派と呼ばれ、ナショナリズムを背景に、反西欧を掲げアジア的価値とベンガルのアイデンティティを追求した。ほかに、ベンガルの民衆美術の伝統とモダニズムを融合したジャミニ・ロイ (1887~1972年) 、パリで学んだ女性画家のアムリタ・シェルギル(1913~1941年)、アブドゥル・ラハマーン・チュグターイー(1894~1975年)らがいる。彼らの活動は、ある種の民族芸術復興運動であり、ベンガル・ルネサンスとも呼ばれ、インド亜大陸における最初の自覚的な近代美術運動となった。

 

この運動の中心的存在であったオボニンドロナト・タクルは、インド伝統絵画の価値を探求、1903年カルカッタを訪れた横山大観の「朦朧体」に学んだ「ウォッシュ画法」を確立し、インドの伝統と日本画の革新を融合した。〈インド東洋美術協会〉を兄ゴゴネンドロナトとともに1907年に設立。植民地支配下の民族意識を高揚させた。キュビスムなど西欧モダニズムにも接近した兄ゴゴネンドロナトよりも、伝統的価値を重視した。

 

チュグターイーは、ラーホール(現パキスタン)の出身で、カルカッタに移ってオボニンドロナトに学び、ムガル朝細密画の伝統に連なる水彩表現で繊細優美な女性像を確立し、英領インド美術界のパイオニアとして活躍した。パキスタンの分離独立後は、故国で国民的詩人イクバールの詩の挿絵を描くなど、イスラーム的な主題、ムガル的な主題に転じ、民族的アイデンティティを追求し国民的画家の地位を不動のものとした。

 

ジャミニ・ロイは、カルカッタの官立美術工芸学校で西欧流のアカデミックな教育を受けたが、後に西洋式の技法や画材を捨てることを決意する。絵巻物ポトやテラコッタ・タイルなどベンガルのフォークアートに触発された独自の芸術観で西欧モダニズムに挑戦し、インド固有の近代美術の道を探った。独立後のインドで、過去の栄光の時代に国家のアイデンティティを見出そうとする動きの中で、彼はベンガルの民衆の世界からインスピレーションを得、ベンガルの先住民やヒンドゥーの神々、動物たちを洗練された線描で描き、民俗絵画の素朴な味わいと装飾性を活かした簡潔で強力なイメージを作りだした。西欧近代の独自性を重んじる芸術観を批判し、自作の再制作を繰り返して、自作が高踏的な場ではなく民家の壁に掛けられることを好んだ。

 

タクル兄弟の死と独立後のベンガル地方分割の混乱により、インド近代美術の中心は、カルカッタからボンベイ(現ムンバイ)に移ることになる。

 

1947年の独立以後のインドで、モダニズム的傾向を代表するのが〈進歩的美術家〉グループ(PAG)で、F. N . スーザ(1924~2002年)が中心となり、M . F. フセイン(1915~2011年)、サイド・ハイダル・ラザ (1922~2016年)らを創立メンバーとして、1947年にボンベイで結成されたため、一般に〈ボンベイ・プログレッシヴ〉と呼ばれる。それまでの主流であったアカデミックな自然主義絵画やベンガル派に抗して、キュビスムや表現主義など西欧モダニズムの諸傾向を、伝統的な主題やモチーフに融合させようとした。後にラザは、グラーム・ラスール・サントーシュ(1929~1997年)やビレン・デ (1926–2011年)とともに、伝統的なタントラ絵画を基に、インド的な抽象絵画を追求した。

 

インドのバローダ(現ヴァドーダラー)では、ベンガル派の影響を受けたK. G. スブラマニアン(1924~2016年)が、民俗的伝統と西欧モダニズムの融合をはかった。その影響下に、グラーム・モハメッド・シェイク(1937年~)やブーペン・カッカル(1934~2003年)ら次世代が台頭し、バローダは豊かな物語性を持つ具象絵画の画家たちの一大拠点として独自の地位を築いた。

 

1990年代以降、グローバル化するインド美術界において、多くのアーティストが映像やインスタレーションなど現代的な技法を駆使して活躍しており、ナリニ・マラニ(1946年~)やナヴジョート(1949年~)らの女性作家の活躍もめざましい。また、ヴィヴァン・スンダラム(1943~2023年)など社会的メッセージ性の強い傾向、ラヴィンダル・レッディ(1956年~)、N. N. リムゾン(1957年~)らの物語的な彫刻が目立つ。

 

(イメージ画像)

街を行くオートリキシャ

ムンバイのインド門、タージマハル・ホテルなど植民地時代からの建物が残る

神様ステッカー

シャンティニケータンの朝

一覧へ戻る